郷土ゆかりの漫画家

中河 のりお(なかがわ のりお)

漫画家

昭和16年(1941)、上海生まれ。

経歴・プロフィール

本名 中川教雄。昭和33年、高校生のときに『夜更けの雨』(雑誌「街」セントラル出版)でデビュー。
その後3年間に、劇画誌「街」「顔」「熱血男児」などに発表。
「子供の昭和史20~35年」(平凡社)に作品「雨宿り」の写真が掲載されている。(図書館未所蔵)


描き始めたきかっけ、漫画家になるまでの道のりなど…(本人コメント)

小学5年生の頃から肉筆手製の「世界に1冊しかないマンガ本」作りに熱中。中学2年までに8冊作ったあと、SFマンガの原稿を大手の出版社に自信満々送りつけるも、あっさりボツ。

それでもめげることなく描きつづけ送りつづける。高校1年生のとき、集英社から送り返されてきた原稿に編集者の手紙が添えてあり、便箋3枚にわたって懇切丁寧かつ冷酷無情に作品の欠点がこまかく指摘してあった。

手紙の末尾に、まだウチの雑誌に掲載するわけにはゆかないが、単行本なら充分通用すると思うから、そっちの世界で修行したらどうか、というアドバイスがあった。(当時のマンガ界は、雑誌がメジャーで単行本がマイナーだったのです)

そのころ貸本屋で人気のあった劇画誌「街」が新人募集中だったので、高校2年の春、4月、5月、6月とたてつづけに応募し、3作とも入選。(審査委員はさいとうたかを、辰巳ヨシヒロ)7月には出版社から、プロとして原稿依頼するからもう投稿しないように、と通達される。(その年、1958年の年間新人賞を頂きました)

その後3年間に約20編の短編中編、主にミステリー、ときどきSF、ホラーを、劇画誌「街」「顔」「熱血男児」などに発表。進学で上京した1960年、18歳の秋に「筆を断つ」決心をし、マンガの世界を離れる。(理由は、関心が別の分野に移ったことや、個人的な資質の問題や、時代の動向の影響その他が複雑に絡み合っていて、手短かに説明することはとてもできません。しかしその後も読者としてひたすらマンガを愛し、エンジョイし、今日に至っています。 大牟田市からマンガ家が輩出しています。萩尾望都は今や世界的なマンガ家だし、鴨川つばめはすでに伝説だし、福山庸治は知られざる天才です。ときどき大牟田出身のマンガ家第1号はオレかな、古賀新一かな、と考えることがあります。同じ年のデビューなのです)